概念と歴史

オステオパシーの概念

『オステオパシーの語源』

オステオパシーはギリシャ語の「Osteon」と「Pathos」という
2つの言葉を用いて作られた造語です。

「Osteon」とは骨という意味ですが、
この中に「生命の構造体・命の構造」を表す意味が含まれています。
「Pathos」は癒す・療法を意味し、合わせて「Osteopathy」と呼び、
「生命の構造体を癒す療法」という意味が含まれているのです。

オステオパシー理論の根幹  4つの大きな柱

1.身体はひとつのユニットである。
一人の人間とは「身体・心および精神の単位である」

人間の身体は「筋肉や骨格」「内臓や神経・血管」などと分けて考えるのではなく、
ひとつのつながりを持ったシステムとして捉えることが大切です。
すべてが協調して働くことで身体を動かしていると考えます。
また人間は肉体的側面と精神的側面の両面を持つ統一体であるという考え方を持ち、

『身体・心・精神』そのすべてが調和のとれた状態を健康と位置付けています。

2.身体は自己調整・自己治癒・健康維持能力を持つ
「人体は健康を維持するための調整・治癒能力を持っている。
これらが何らかの理由でうまく働かない状態をすなわち〝病気“という。
もしこの能力を正しく認識し、正常に保つことができれば病気を予防
することも治療することも可能である。」 A.T.Still
調和のとれた身体は健康を維持し、病気を治す能力を持っている。

3.構造と機能は相互に関与する
構造(筋肉や骨・内臓・血管などの器官)が変化すると機能
(身体の動き・能力・免疫力や循環)も変化し身体に影響を出す。
逆に機能の変化が構造に変化をもたらす。
このように互いに関与しあっていると考えます。
つまり正しい構造(位置)にないものに正しい機能(仕事)は起こせない
またその逆に機能の異常は構造の異常をあらわしているということです。

4.合理的な治療とは、身体の調和・自己調整および、
構造と機能の相互関係の原理に基づくものである。
上記の3つの原則のもと行う治療であり、スティル博士は
「病気とは病原体が起こすものではなく、身体の健康維持機能が崩れることにより、
入り込んだ病原体を処理できなくなり、身体の生理的機能が不調和を起こすことが原因である。
その不調和を秩序正しく調整することで人は自ら健康を取り戻す」
と述べており、病気とは生理的機能の不調和の結果であるということを表しています。

「我々オステオパス(オステオパシーを行う者)は症状を扱うのではなく、
原因を扱わなければならない。症状は原因が調整されれば消失する」A.T.Still

これらの基本原則に沿った理論・哲学こそがオステオパシーであり、
オステオパシーの治療とはこの原則を元に解剖学・生理学に基づいた治療体系をいいます。

オステオパシーの歴史

オステオパシーは1874年にアメリカ人で西洋医学の医師である
A.T.スティル(アンドリュー・テイラー・スティル)博士によって

提唱された自然医学です。

A.T.スティル博士は、
ある出来事と自らの経験の中で
ひとつの疑問を感じ始めました。
ある出来事とは自らが医師であったにもかかわらず、
当時大流行していた髄膜炎によって
3人もの子供を亡くすという悲劇でした。

また日々多くの患者や病人を診ていく中で、
裕福で手厚い医療や看護を受けていても
助からない人々がいる反面、
貧しく十分な医療や看護を受けられない人々が
自ら回復し健康を取り戻していく。

そんな姿をみて、
「病気とは何か体の中に生じた不具合によって起こるものではないのか?」
と考えるようになりました。
そして病気の患者の体を解剖学・生理学的見地から徹底して調べました。

結果、病気の人の体には構造的に正しい位置からズレていたり
動きが正常でない骨や関節、臓器が存在し、
またそれらが他の器官と協調できていないことに気がつきました。

これらの正常でないものを元の状態に戻すことで、
病気が患者自らの力で戻ることを見つけ出し、
10年の歳月の結果1874年にオステオパシーを発表したのです。
博士は西洋医学の医師でありながら薬は毒であると訴えつづけ、
オステオパシーの治療を続けました。

当時の医学界は博士の行動を強く批判し、医師会から追放しようとしました。

しかし博士は、自分の考えを変えることなくオステオパシーの治療を行って
全米中をまわり、その後最終的に行きついた
ミズーリ州にあるカークスビルという小さな町には、
全米中から博士とオステオパシーの治療の
うわさを聞きつけた人々が治療を求め集まり始めました。
そのため小さな町にはホテルができ、食堂が立ち並び、
集まった大勢の人々で町が賑わうようになりました。

この博士の功績を医学界も認めざるを得なくなり、1892年にはカークスビルに
最初のオステオパシーの学校が設立されました(American school of Osteopathy)。
現在もそこは、A.T.STILL UNIVERSITY として存在しています。

今現在アメリカでは、オステオパシーは医学として公認され、医学大学を卒業する
国家資格となっていて、手術・投薬など全ての医療行為を許された
医師D.O.(Docter of Osteopathy)の名前が与えられています。

現在29校のオステオパシー医科大学があり、アメリカのみならずヨーロッパ各国や
ロシア・カナダ・オーストラリア等数々の国でオステオパシーの研究・教育が行われています。
中には国家医療資格として認められている国もたくさんあり、多くの国で普及し発展し続けています。